コラム〔山本編〕
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vol.1 望子成龍
作  山本 洋左右


 近頃、報道原稿を見る度に暗澹たる思いを抱く。同僚に話をした所、彼も全く同じ気持ちで仕事をしていると心情を打ち明けた。
 原稿の中身は官公庁の発表文を丸写し、文中には至る所に無神経な役人用語が使われ視聴者の関心を遠ざけている。文末は「先行きの不透明」だとか「難しい舵取りを迫られる」と言った常套句で締めくくり、 何の見通しも提示しない。視聴者に丁寧に情報を伝えようと言う意識を持って原稿を書く記者が少なかった。このようなニュースが毎日、1時間の番組の中で何回も繰り返し放送されている。情報化社会の象徴として各局が ニュース番組を拡大しながらおよそ20年が経った。その間、番組はショーアップされ、バラエティ化する一方で、ニュースの質は検証されないまま視聴率競争のメンバーに投入されている。ほんの一昔、報道局には、 優しいけれど原稿には厳しいベテランが何人も居て、活気と共にどこか張りつめた空気が漂っていた。大声で何度も若手の記者に書き直しを命じるのを見てこちらの気も引き締められたものだった。 ところが今はテレビ局全体が一般企業と同じように売り上げ至上主義に傾いた為、報道から営業、制作から営業と言った局内移動が激しく、記者一筋と言う環境は無くなってしまった。テレビ局からジャーナリスト、本物の記者は育たなくなりつつあるのだ。

 先日、ジャカルタに向かう曽我ひとみさんに関する”スクープ”と言うので、何だろうと注目した所、中身は地元のスーパーで買った品物だった。こんな事に一喜一憂している報道現場の幼稚さに気付いている視聴者は多い。気付いていないのは、種々の特権を与えられている記者自身なのである。嘆かわしい事態はこれだけではない。以下の列記する文字は本当に画面に表れたほんの一例である。

「日航機堕落」 「地球存亡」 「国連行使」 「小泉総理は比例だ」
「大型銃器投入」 「1リーグ制が懸命」 「外角団体」

 この誤字の中には、現在の社会が直面する事情が幾つか含まれている。まず、記者やスタッフの知的レベルの低下がある。”広く浅く”が報道に携わる者の条件だったが、今は常識は二の次、三の次である。次に、今原稿を書く記者はほとんどいない。原稿は全てパソコンで打ち込む。従って変換ミスが多々発生する。常識のない記者が変換ミスに気付く訳はない。だから考えられない文字ヅラが毎日出現するのである。この原稿も、実は初稿をパソコンで打っていたが、どうしても文脈に気が入らず、結局手書きでなんとかまとめた。ニュースを伝える者にとって必要なものは何か?

 これは私にとっての問題提議でもある。