コラム〔山本編〕
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vol.12 国家、家族、男女、いま共生を考える 続章
作  山本 洋左右
権力の歴史観に惑わされない

隣国との共生を難しくするのが、権力が歴史を
声高に叫ぶ時である。
今度は、権力の側から日韓、日台の戦後史を見てみよう。
日本の敗戦後に誕生した韓国のイスマン政権も蒋介石政権も
共に反共政権だった。
しかし、日本との関係は全く異なった。
蒋介石の国民党は、大陸で日本と激戦を繰り広げたのに
台湾逃亡後、「以徳報怨」徳を持って怨みに報いよ の一声で
日本と国交を結んだ。
これに対し、独立を回復したイスマン政権は、北朝鮮と対峙しながらも
日本文化を全面禁止し、一方的に李ラインと呼ばれる領海を設定し
日本漁船を徹底的に排除した。竹島の日条例を決議した
島根の漁民は、この時韓国警備艇の脅しに苦しめられた過去を持つ。
韓国は、1964年まで日本との国交を正常化せず、日本語と日本文化は、
その後35年間、解禁しなかった。

蒋介石は、何故日本と手を結んだのか?
イスマンは、何故日本と手を結ばなかったのか?
毛沢東の共産党に敗れた蒋介石は、日本の支持が必要であり、
国内の支持基盤が、脆弱だったイスマンは反日で国内を引き締める
必要があったのである。

ここまで書いた事は、歴史の上澄みに過ぎない。
しかし、今韓国と中国で起きていることを思い起こせば
歴史の繰り返しである事が分かると思う。
政治家の言葉や過激な行動が伝えられる時こそ
私たちは、冷静に過去を振り返ろう。
過去は、現在を予言し、現在は未来に警鐘を鳴らしている。